治安は大丈夫?アジアの小国、東ティモールに観光に行ってみた!

こんにちは!

未知との遭遇トリップラーTakaです!

 

今回は、アジアの小国、東ティモールに行ってきました!

皆さんは東ティモールというとどんなイメージをお持ちですか?

 

紛争中? 治安が悪い? 最貧国?

 

そんなイメージの人もいるかと思います。

 

しかし、実際はそんなイメージとは真逆で、とても平和な国なんです!

 

今回は、2017年8月に実際に行ってみて感じた東ティモールについて、過去の歴史から観光地まで東ティモールの魅力をお伝えしようと思います!

 

 

そもそも東ティモールってどこ?

東ティモールは2002年に誕生した、21世紀で最初の独立国。

現在はポルトガル諸国共同体に加盟。

 

面積は1万4900平方メートル。東京、千葉、埼玉、神奈川の合計面積とほぼ同じくらい。

人口は118万人(2017年現在)

言語はテトゥン語。インドネシア語やポルトガル語が話せる人もいる。

 

通貨は米ドル紙幣とセタンボという独自の硬貨を使う。

 

首都はディリ

人口の99%がキリスト教

 

歴史の変遷。赤い国旗に隠された意味とは?

「東ティモール 国旗」の画像検索結果

 

東ティモールの国旗を見てみましょう。

 

国旗は黒、黄、赤、白の4色から成り立っており、

 

黒「植民地時代の暗黒」

黄「国家の独立のための戦い」

赤「民族闘争で流された貴重な血の犠牲」

白星「平和と未来への希望」

 

これら意味を持っています。

 

黒、黄、赤が基調の国旗、それら色の意味することを知れば、自ずと東ティモールが独立までどのような歴史をたどって来たかが予想できるでしょう。

 

参考サイト、画像引用 http://www.sarago.co.jp/nfhtm/tl.html

占領時代

東ティモールはこれまで、ポルトガル、インドネシア、そして日本という3つの国の占領下の歴史があります。

そして、それらの歴史が東ティモール独立までの歴史に大きくかかわっているのです。

 

以下では東ティモールの占領下時代と、独立までの歴史を簡単にお話ししようと思います。

ポルトガル占領下

「東ティモール 独立運動」の画像検索結果

写真引用:http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/e/7e7b590506bf7f6d85d60ed994527872

16世紀、ポルトガルの進行によって東ティモールを占領下に収める。

コーヒーやサトウキビ産業の導入により経済を発展させ植民地経営を進めていった。

 

しかし、ポルトガル占領による搾取が進み、東ティモール人の反感を募らせ、

1911~1912年にかけて、ポルトガルの税制の強化に反発して起こったドン・ボアベントゥラの反乱が3000人以上の死者を出した。

さらに、1959年には、ピケケ県知事誘拐・蜂起事件が起こり150人の死者が出、それによってポルトガルによる独立運動の監視がより厳しくなった。

 

1974年、ポルトガルでカーネーション革命が起き、植民地支配を推進していた保守独裁体制が崩壊し、東ティモールの植民地支配も放棄されることとなった。

 

日本占領下

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写真引用:http://tieba.baidu.com/p/2172225585

1941年、太平洋戦争が始まると、日本は南方作戦で東南アジア、太平洋に侵攻し制圧していった。

その中で、東ティモールは対英豪軍攻略のため、地理的条件とポルトガルの中立という立場より、東ティモールに侵攻し、駐留するイギリス、オランダ、オーストラリア軍の排除を始めた。

日本軍の制圧により、東ティモールはポルトガルからの白人支配と搾取から一時的に逃れることができたが、東ティモールはオーストラリアとの戦争の最前線の舞台となってしまい、英豪軍の爆撃によりディリを含む主要都市がわずか1年足らずで壊滅状態になってしまう。

まぎれもなく、日本軍の制圧による結果である。

 

日本軍の東ティモール占領時代は1945年の終戦、すなわち日本の敗戦とともに幕を閉じた。

 

インドネシア占領時代

「東ティモール戦争」の画像検索結果

写真引用:www1.odn.ne.jp

日本の東ティモール占領時代が終わり、東ティモールはポルトガルの占領下へと戻っていった。

ポルトガルのカーネーション革命により東ティモールの植民地放棄の後、東ティモールは独立を宣言したものの、今度はインドネシアによる東ティモール併合のための軍事侵攻が始まった。

 

その頃、東ティモール国内では、

1つ目は、東ティモール独立を求めるフレティリン(東ティモール独立革命戦線)

2つ目は、ポルトガルとの関係維持を求めたUTD(ティモール民主同盟)

3つ目は、インドネシアの併合に賛成を示したAPODETI(ティモール民主人民協会)

という3つの政党が存在していた。

 

インドネシア軍はフレティリンによる支配を恐れ、1975年11月28日に国境から東ティモールへ侵攻。

29日には、インドネシア軍が東ティモールを制圧した。(国際社会はこれを認めず、国連はインドネシアを非難)

 

翌年1976年7月、インドネシアは東ティモールの併合を宣言。

しかし、併合を宣言したものの、最初の3年間は戦争が続き、国際人道団体でさえ入域が制限されていた。

インドネシア軍によって追い詰められたフレティリンはゲリラ化した一部の兵士を除いて投降することとなり、これまでの死者は10万人まで及んでいた。

 

ゲリラとなった兵士は新しい指導者の下、地下組織が作られ物資や、情報を得ることができた。

1983年にはインドネシア領への攻撃を仕掛けるようになり、それによりインドネシアと東ティモールは半年間の停戦となった。

 

結果として、インドネシアによる東ティモールの「インドネシア化」は失敗に終わった。

1980年代に入ると、インドネシアに反抗する2世代の若者が生まれ、抵抗を示し、インドネシア軍の人権侵害、汚職から独立運動に参加する者も増えた。

 

「サンタクルス事件」の画像検索結果

写真引用:livedoor Blog

そうした中、1991年11月「サンタクルス虐殺」という事件が起こった。

11月12日、国連事務総長の仲介の基、ポルトガル議員団が東ティモールを訪問する予定になっていたが、中止となった。

それに対し、若者が独立要求のデモに参加。

その平和的なデモに対し、インドネシア軍は無差別発砲。100人以上の死者を出す事件となったのである。

この事件でインドネシアは国際社会から人権問題として注目を浴びることになり、インドネシア批判を加速させた。

 

自治権獲得から独立まで

「東ティモール戦争」の画像検索結果

 写真引用:www.kyoritsu-wu.ac.jp

1998年になると、インドネシアで起こった民主化運動により、当時のインドネシアの大統領スハルト政権は崩壊することとなった。

このことが好転となり、後任の大統領ハビビは最終的に東ティモールに自治権を与えた。

しかし、東ティモールでの独立運動はおさまらず、インドネシア軍と国民との対立は依然として続いた。

1999年1月、ついにインドネシアは東ティモールの独立を認め、8月30日、独立に関する住民投票が行われた。

結果78.5%もの人が独立を支持。

 

その後、国連PKOや、UNTAET(国連東ティモール暫定行政機構)の協力により、2002年5月20日に東ティモールとして独立を果たした。

 

東ティモールへの行き方!

東ティモールへの生き方はインドネシア、バリのデンパサール国際空港からが便利!

デンパサールからはCitilink、スリウィジャヤエアーなどが安く、片道10000円前後の価格。

 

私はデンパサールからCitilinkの行きの航空券のみ買って行きました。

「帰りたくなったら航空券を買えばいいだろう」と思っていましたが、いざ航空券を買おうとCitilinkのサイトを開くと、

 

国外(インドネシア外)からの航空券の購入は、クレジットカードでのお支払いはできません。

と書いてあり、驚きました。

 

おまけに、東ティモールではクレジットカードが使えない所や、キャッシングできないトラブルが相次いでいたため、あらかじめ帰りの航空券を買って行くことをお勧めします!

 

入国

東ティモールへ入国の際は、到着してすぐ空港でアライバルビザを取りました。

30日間のビザで30ドルです。

飛行機から降りると、空港に入る施設の前にアライバルビザのカウンターがあるのでそこで支払います。

 

入国審査が終わると手荷物検査があります。

検査はそこまで厳しくなく、荷物を渡して30秒ほどで終わりました。

 

空港から市内までのアクセス

市内までのアクセス方法は主にタクシー移動になります。

空港を出ると黄色いタクシーと客引きがたくさん待ち構えています。

 

タクシードライバーと値段交渉をします。

タクシードライバーは最初は「市内までは10ドルだな~」と言ってきますが、

値切ると5ドルまで下げることができたので価格交渉してみましょう!笑

 

また、シェアタクシーをするとさらに安くなるので、他の観光客を捕まえて一緒に乗るとお得です!

市内の主な交通

市内の主な交通は、タクシーかMicroletという乗り合いバンを使います。

上写真はMicroletで街を歩けばいたるところに爆音の音楽をかけ、走っています。笑

 

それぞれのMicroletには番号があり、路線が決まっています。

行きたい場所があったら現地の人にMicroletの番号を教えてもらい、乗ってみましょう。

 

Microletに乗るときはバス停のような目印がないので、周りの人に聞いてみましょう。

バス停のような目印は無いので目的地付近になったら運転手に「おりたい」と伝えましょう。

街中のMicroletはなぜか派手なものばかりで、デコレーションのせいで視界がが恐ろしく狭く、おまけに猛スピード+爆音ミュージックをかけているので、ハラハラドキドキexciting間違いなしです。笑

(半分以上フロントガラスが隠れています笑)

 

料金は路線によって違いますが、約50円ほどです。

前もって料金を確認し、降りる際には運転手に直接渡しましょう。

 

※満員時はかなりぎゅうぎゅう詰めになるので貴重品の管理はしっかりしていてください!

 

東ティモールの食!

東ティモールの食事情はどうなのか? 伝統料理や、市内のレストランは?

 

というと実はインドネシア料理とほとんど同じなんだそうです。

そのため、街中のレストランはインドネシア料理屋が多かったです。

その他にも、中国系移民やインド系移民の人が開いた、中華料理やカレー屋などもあり、探せばいろんな料理も食べることができますが、比較的高めの値段になります。

 

唯一、東ティモールの伝統料理だと言っていたのが、浜辺でご飯を一緒に食べさせてもらった時にもらった、カレー味のバナナでした。

カレー粉につけたバナナのようで少しスパイシーで、ワインと一緒に食べていました。

 

また、東ティモールはコーヒーが有名で、カフェに行けば飲むことができます。

暑い東ティモールではアイスコーヒーがとても美味しく、深みがありながらもすっきりした味わいでした!

国民の4分の1の人がコーヒー生産者だお言われており、コーヒーは東ティモールで最も有名な産業ともいえるでしょう。

 

バーガーキングのような世界チェーンの外国資本も入ってきているようでした。

街のレストランよりも高めで、写真のセットメニューで500円ほどでした。

 

町中にはフルーツや野菜の移動販売も多く、ユニークな音楽をかけながらリアカーを押している人をよく見かけました。

東南アジア原産のフルーツや、よく熟れたバナナやマンゴーなどが手軽に食べられます!

 

東ティモールの観光地

東ティモールの観光地は数少ないとされていますが、今回は実際に行った首都ディリの観光地を紹介しようと思います!

 

Largo de Lecidere (ラルゴ ジ レシデリ)

観光地といっていいのか分かりませんが、ここはディリに滞在していた時、毎日のように行っていた海岸沿いの公園です!

市民の憩いの場となっているのか、たくさんの人がおしゃべりをしたり、ピクニックをしたり、デートをしたり、にぎやかでした。

歩いていると、現地の人に声をかけられ一緒におしゃべりをしたり、青い海と揺れる船を眺めながら軽食を食べるひと時は素朴ながらも最高の時間でした。

(ずっといると、潮風で髪がだんだんべたべたしてきます。笑)

 

アクセスは市内の10番のMicroletで行けるそうです!

Cristo Rei(クリストレイ)

東ティモールで最もメジャーな観光地とも言えるCristo Rei(クリストレイ)。

首都ディリの東海岸、崖っぷちに佇む巨大なキリスト像です。

クリストレイは崖の上なので、キリスト像にたどり着くまで永遠と階段が続きます…

東ティモールは暑く、日差しも強いので水分補給を忘れないように!

 

階段を登りきると巨大なキリスト像がありました!

 

崖の上から眺めた景色は圧巻でした。

 

東ティモールは何と言っても海がきれい!

360度青い海に囲まれた景色は何時間でも見ていられます!

 

写真を撮ってもらおうと、現地人にお願いするも、せっかくのキリスト像が写っていない(笑)

キリスト像が大きすぎるのもあるけど、写真がちょっと下手な東ティモール人でした。笑

 

アクセスは、先ほど紹介した、Largo de LecodereからMicroletの12番に乗れば15分ほどでクリストレイ(終点)に行くことができます!

Dolok oan(ドルコアン)

Cristo Reiのキリスト像のすぐ後ろに広がる美しいビーチ、Dolok oan。

今まで見た中で一番きれいなビーチでした!

 

東ティモールのビーチは何と言っても、ゴミが少なく綺麗なことと、観光客が少なく静かなことが良い!

波も穏やかで暖かいので、海水浴を楽しんだり、一日浜辺でぼーーっとして過ごすこともできます。笑

 

砂浜が白いのと、日差しがかなり強いので女性の方は日焼けに注意です!!

 

疲れたら浜辺の木陰で一休みすると、涼しい潮風が疲れを癒してくれます!

また、この辺り一帯は非常に景色がきれいなので、バイクやサイクリングが好きな方は、海岸沿いの道路を走ることもお勧めできます!

 

アクセスは、クリストレイのキリスト像の背面側になります。

クリストレイの丘を登って途中下りの階段があるので降りてみましょう。

 

Dili Cathedral(ディリ大聖堂)

ディリの中心部にある大聖堂。

市内のいたるところに教会はあるが、この辺りでは一番大きい。

 

国民の99%がキリスト教ということもあり、市内の教会はどれもきれいで、見かければ立ち寄るのも良いと思います。

Tais Market(タイスマーケット)

東ティモールでお土産を買うならTais Market

東ティモールの特産品! というと特に無いようなのですが、ここでは主に織物やハンドメイドの品物がたくさん売っていました!

たくさんのお店が密集していますが売っているものは共通するものが多い。

東ティモール色の製品がたくさん並んでいます。笑

お店によって値段やクオリティーが違うので、価格交渉をしつつ、いろんな店を回りお目当ての物を探すといいと思います。

 

お店の中では織物をしているお母さんがいました。

どこのお店も織物が置いてあり、ハンドメイドということもあって温かみがあるお土産を買うことができると思います!

Archives & Museum of East Timorese Resistance(ティモールレジスタンス博物館)

歴史を学びたい人におすすめの博物館です。

占領時代の歴史や、東ティモールの独立戦争について詳しく知ることができます。

実際に当時使っていた物や、写真などリアルな東ティモールの歴史について学ぶことができました。

国民の印象は? 接してみて感じた東ティモール人!

 

街で出会った東ティモール人たちの印象はどうなのか?

今回、実際に出会った東ティモール人たちの印象はとてもよかったです。

街中を歩いていると声をかけてくれたり、知らない人でも一緒に話したりと、かなオープンで、フレンドリーな人が多かったです!

 

Cristo Reiの浜辺を歩いていると、東ティモール人のグループに、

「お~い! こっちに来て一緒に話さないか?」と、食事を誘われ、

飛び込みにもかかわらず食べ物やお酒をいただき、いろんな話をさせてもらいました!(上写真)

 

彼らは週末によくビーチで仲間と集まり、外国人を見つけると一緒に話したりしているなど、

東ティモール人の多くが、オープンな性格のような感じがしました。

 

 

街中やバスの中でも、困っていると助けてくれたり、目的地まで案内してくれた人もいました。

Microletで出会った彼は、行きたい場所を尋ねるとわざわざ一緒におりて目的地まで案内してくれました!(上写真)

他にも多くの東ティモール人が困った時に助けたり、フレンドリーな印象も受けました。

 

そして、意外と英語が話せる人が多く(なまりは強かったが)、コミュニケーションに困ることはほとんどありませんでした!

中には、テトゥン語、ポルトガル語、インドネシア語、英語、と4か国語も話せる人がいて驚きました。

 

日本から見ると、東ティモールとはほとんど関わりない国に思えますが、

「日本にあこがれている」「日本の技術力はすごい!」「日本に行きたい!」と会話の中で話している人も多く、

東ティモール人の多くが日本の技術力や文化に関心しており、とても親日な人も多いようでした!

 

まとめ

実際に東ティモールに行ってみて、率直に感じた印象はというと、

海が青く綺麗! 国民が温かい! 観光客が少なく静か!

という3つのことでした!

 

実際に現地にいる時はあまり知らなかった歴史も、改めて調べてみると悲劇的な過去があり、日本とも関わりがあったということも学びました。

今は平和で国民の笑顔が絶えない海の綺麗な東ティモールでも、ほんの何十年前には戦争状態であったことなんてまるで嘘であったこのような、そんな印象でした。

 

今回はディリにしか滞在していませんでしたが、治安の面でも全くと言ってもいいほど心配はいりませんでした!

しかし、現在でも外務省の海外安全ページを見てみると、少なくとも犯罪も起こっているようなので、滞在時には携行品の管理や、夜遅くは外を歩かないなど最低限の安全管理は守るようにしてください。

 

 

まだまだ観光地も少ないですが、

・きれいな海

・観光客のいない静かな環境

・優しい国民

これらに出会うことができただけでも、東ティモールに行って良かったと感じることができました!

 

東ティモールに行きたいという理由だけで旅行をする方は少ないとは思いますが、

インドネシアに行った際など、東ティモールに訪れてみてはいかがでしょうか?

あなたの旅程に東ティモールが入る日を楽しみにしています!

 

参考文献

山田 満(編著)『東ティモールを知るための50章』 明石書店 2006年

松野明久 『東ティモール独立史』 早稲田大学出版部 2002年

参考サイト

外務省: http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/easttimor/data.html

Peace Winds Japan:   http://peace-winds.org/fairtrade/

世界の国旗図鑑: http://www.sarago.co.jp/nfhtm/tl.html

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