ひょんなことから日本料理店を開業することになり、2017年5月、アルバニアの田舎町シュコドラで初めてとなる日本料理店「Sushi te Shoki」をオープン。地元アルバニア人を相手に日々奮闘している。ちなみにまだ世界一周の途中。
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せーの、ホップ!ステップ!トリップ!らーーー!!
まいど!世界に日本料理を伝える開業シェフトリップラーのshokiです!
今回は、僕がオーストラリアでワーホリしてた時に訪れた、オーストラリア大陸第二の国「ハットリバー公国」のお話と、その行き方のご紹介です。
オーストラリア大陸に、オーストラリア以外の国なんてあったの!?って思う人も多いと思いますが、厳密に言うと、この「ハットリバー公国」は、国連にも加盟していない未承認国家です。
1970年にオーストラリアから離脱し独立するという形でできた国なのですが、一体、誰が何の目的で作った国なのでしょうか?
そこには、あるひとりの農夫による、数々のドラマがありました・・・。
この記事の目次
ハットリバー公国に行ってきた!
オーストラリアに実在する未承認国家「ハットリバー公国」とは!?
ハットリバー公国は、西オーストラリアの州都パースから北へ595kmの場所に位置し、約75平方kmの土地で構成されています。
1970年4月21日に、オーストラリアから離脱した独立国家であり、香港に匹敵する規模です。
(ハットリバー公国公式HPより抜粋)
会いに行ける大公!ハットリバー公レオナード1世!
とまぁ、説明を聞いただけでは、なんだかよくわからないので、実際に行ってみることにしました。
詳しい行き方は後述しますので、ここでは省略しますが、なんせバスも電車も走っていない国なので、車でしか行けません。
あらかじめ調べておいた通りにその国を訪れると、ハットリバー公国の大公(公国における一番偉い人)と、王子が出迎えてくれました。
どこの国へ行っても、こんな豪華なお出迎えはなかなかあり得ません!(笑)
上の写真で植物に水やりをしているのが、レオナード・ジョージ・ケースリーさん。ハットリバー公国の設立者で、大公です。
(※レオナードさんは、2017年2月11日に91歳という高齢のため、大公を退位し、現在は息子のイアン王子が二代目としてその役割を担っています)
僕が訪れた当時はレオナードさんが大公だったので、その前提で話を進めます。
なんというか、特に期待はしていなかったのですが、国と言ってもそんな何百人も住んでいるわけではなさそうだし、建物は全部平屋だし、それ以前に地面はほとんど舗装すらされてないしで、全然発展している感じではありません。
それこそどこかの田舎の村に来たような感じでした。
ハットリバー公国はこんなところ!
車を丁寧に誘導してくださり、挨拶も早々に早速イミグレーションへ!
もう完全に国の敷地に入っておりますが、イミグレーションで入国手続きがあるようです。
首相、経済開発大臣、郵政大臣、小麦の生産・輸出など、様々なお仕事を兼任されているイアン王子が、入国手続きまでしてくださいました。
ここではビザ代として、4オーストラリアドル(約320円)が徴収されます。
違法とは知らず、ガッツリと出入国スタンプを2つ押していただいちゃいました!
よく考えたら、パスポートは落書き厳禁ですから、未承認国家が勝手に作ったスタンプも押しちゃダメですよね(笑)
これまでそのせいでトラブルになったことはありませんが、このあとのオーストラリア出国時には、イミグレのおばさんに苦笑されてしまいました。
しかもハットリバー公国で一泊したことになっていますが、してませんし、実際滞在時間は1時間弱です(笑)
この方がイアン王子です。
ブラックライトでパスポートを照らすと、顔写真の横には日本の丸印が、サインのところには顔が、それぞれ映し出されます。これははじめて知ったので驚きました!
ぼぼぼ、僕の眉毛には触れないでくださいぃぃぃ。
僕たちのように、いろんな国々からの観光客が訪れるのだそうで、いろんな紙幣が飾られています。右下に日本のものもありますね!
だ、だれや。ハットリくんのお面プレゼントしたの(笑)
国内には、郵便局もありますよー!
結構立派な教会ですよね!
教会の前には、2013年に亡くなられた王妃のお墓がありました。
大公の肖像・・・。
記念碑もあります!あくまで「離脱」という言葉を使っているのが気になりますね。
大公との貴重なツーショット写真もイアン王子に撮っていただきました。(何度か撮ってくださったのですが、どれもブレブレで、これがまだ一番マシ(笑))
いろいろと歩き回ってイアン王子が案内してくださったのですが、この時、大公と王子以外の住民には会いませんでした。
主な産業は?
先ほども少しだけ触れましたが、小麦、羊、羊毛、ワイルドフラワーを生産・輸出して生計を立てているみたいです。
ワイルドフラワーって聞き慣れないかもしれませんが、Wild Flower(野生の花)ですね。西オーストラリアでは有名なのです。
あとは、こんな小さな国ですが、なんと年間4万人もの観光客が訪れるそうなんです!
ビザ代だけで1,280万円!!結構儲かってるのかな?
国内には、お土産屋さんもありますし、先ほどの郵便局から発送できるように、オリジナル切手なんかも販売されています。
そしてなんと、ハットリバー公国独自の通貨も発行しているんですね。
通貨の名称:ハットリバードル
レート:オーストラリアドルと等価
とのこと。
面白半分で買っていく観光客も多いみたいです。
それでは、ハットリバードル硬貨を一部お見せしましょう!
どうですか?何か気がつきましたか?
普通、硬貨って、だいたいどこの国でも1枚数百円分のものが最高で、それ以上だと紙幣になるじゃないですか?
日本円硬貨なら最高額は500円ですよね。
それがなんとハットリバー公国では、100ドル(約8,000円)の価値を持つコインが存在するんですねー!
怖くて持ち歩けないわ(笑)
ハットリバー公国の物語
独立に至った経緯
(出典 http://www.news.com.au/finance/work/leaders/prince-leonard-of-western-australias-hutt-river-province-abdicates/news-story/39dbb78e38558f95099cbd00a2e13711)
1969年10月、西オーストラリア州政府が小麦の販売量割り当てを決定した際、レオナード(後のハットリバー公国大公)の農場に割り当てられた販売量が、十分なものではなかったそうです。
そこでレオナードは、他の5つの農場と連携し政策に反対し、その法案撤回の請願書を提出しました。
しかし、請願書は無視され、全く取り合ってもらえませんでした。
するとレオナードは、「経済・土地が奪われる危機に瀕した際には、分離・独立することができる」という国際法の規定に基づき、独立の準備を進めます。
そして遂にレオナードは、「小麦の販売量割り当ての修正、または、補償金として52万オーストラリアドル(当時のレートで約2億円)が支払われない場合、オーストラリアから独立する」と、西オーストラリア州政府に最後通告!
しかし、これまた返答が得られなかったため、
1970年4月21日、レオナードが所有する75平方kmの土地を『ハットリバー公国』として、オーストラリアからの独立を宣言。レオナードは、「ハットリバー公レオナード1世」と名乗るようになります。
普通なら泣き寝入りするか、他のビジネスを考えるところでしょうけど、思い切りましたよねー!
オーストラリアからの離脱・独立後
(出典 http://www.principality-hutt-river.com/rch/HRH_Prince_Leonards_Final_Honours_Bestowal_as_Sovereign_Feb_2017.htm)
レオナードの独立宣言に対し、オーストラリア首相のウィリアム・マクマホンは、「領土侵害」として訴追するとしましたが、レオナードはこれに対し「国際条約に基づいた独立である」と反論。
オーストラリアの方針を無視し、小麦を売り続けました。
1976年、オーストラリア郵便局がハットリバー公国の郵便物の処理を拒否すると通告したり、オーストラリア歳入庁がレオナードに対し納税を要求したことを受け、翌年レオナードはオーストラリアへ宣戦布告!
数日後には停戦を宣言しましたが、これは穏やかじゃないですねー。
(※現在はパースの裁判所の判決により認められたので、郵便物の処理は再開されています)
1980年には、「ハットリバー王国」と改称し、短期間で「ハットリバー公国」に戻しました。
ちなみに、レオナードには4人の息子がおり、長男のイアン王子は、首相、経済開発大臣、郵政大臣、小麦の生産・輸出などを担当し、次男は外務大臣、三男は財務大臣、四男は教育大臣・国立大学学長をそれぞれ担当しています。
王妃が亡くなられる前は、海外のマスコミ取材や、観光客の歓待を担当されていました。
こういう時こそ、家族の絆は大切ですよね!
ハットリバー公国への行き方
まずは、車でしか行けませんので、オーストラリアで車を買うか、レンタルしましょう!僕はワーホリで滞在中にマイカーを持っていたので、自分で運転して行きました!
パースからだと、ずーーーっと西海岸沿いに国道1号線が走っておりますので、それに沿って目指してもらえればいいと思います。
最初にも書いた通り、パースから595kmありますので、途中の町や観光地もいくつかあるので、そこへも寄りながら、数日間の日程で行かれることをおすすめします。
ハットリバー公国の近くに来たら、まずは「BINNU」というエリアを目指してください。
すると、1号線沿いに、このようなガソリンスタンドが見えます。
このガソリンスタンドから南へ100mほどの辺りに、西側へ入れる「BINNU WEST RD」の標識とともに、『PRINCIPALITY OF HUTT RIVER』と書かれた青い標識があるので、そこを入ってください。
(※僕は北側から南下しながら来たので、もしかしたらガソリンスタンドよりも看板が先に見つかるかもしれません!ガソリンスタンドはあくまでわかりやすい目印ということで!)
10kmほど道なりに進むと、右折出来る道とともに、また『PRINCIPALITY OF HUTT RIVER』と書かれた青い標識があるので、そこを入ってください。
同じ様に標識をたどって行くと、20分ほどで到着です!!
営業時間は9時~16時です!
まとめ
正直このハットリバー公国という国については、オーストラリア滞在中にはじめて知りました。
なんだか面白そうだから行ってみよう!という軽いノリで行ったのですが、レオナードさんのこれまでの偉業(と言っていいのかわかりませんが)が形となって、独立から50年近く経つ今でもそれが成り立っている光景を生で見られて、ものすごく興奮したのを覚えています。
大公は、正直見た目は普通のおじいちゃん。白いセーターを着て、歩くのも、話すのもゆっくりでしたが、ご高齢とは思えないほど元気なお方でした。
王子は、正直見た目は普通のおじさん。紺のジャンパーを着て、大公のフォローに徹する、良い息子さんでした。
この国を訪れて、僕はあることを学びました。
それは『息をする限り、希望を持つ』ということ。
この言葉は、ハットリバー公国の標語です。
息をする限り、希望を持つ。
人生は死んだら終わり。だから生きている限りは、諦めるな。ということですね。
レオナードさんは、オーストラリアという強大な国を相手取り、独立し、家族を支え、生きてきました。
州政府からも、首相からも批判的なことを言われ、ご近所さんからも嫌な目で見られたことでしょう。
差別的な言葉を投げつけられたこともあるかもしれません。
「小麦の販売量割り当てが少ないから独立する」
それが正しい判断だったのかどうか、僕にはわかりませんが、彼はきっとこれが正しいと信じていたはずだし、でもそれが認められない苦悩も死ぬほど味わっていると思います。
でも死んでない。
だから諦めないんです。
希望を持ち続けて・・・。
想像すると泣けてきます(笑)
一代で国をここまで築き上げた努力は、並大抵のものではないでしょう。
その偉業を称え、この記事を終わりにしたいと思います。
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ひょんなことから日本料理店を開業することになり、2017年5月、アルバニアの田舎町シュコドラで初めてとなる日本料理店「Sushi te Shoki」をオープン。地元アルバニア人を相手に日々奮闘している。ちなみにまだ世界一周の途中。
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