名前だけしか知らない国。実際に行ってみると何があるのだろう。そんな好奇心から海外へ。
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こんにちは!
未知との遭遇Triplar:Taka です!
今回はインドネシアのスラウェシ島南部にあるタナトラジャに行ってきました!
ここには一風変わった文化を持ったトラジャ族が住んでおり、特に、「死」に対する価値観は他とは全く違うものなのではないかと感じました。
カルチャーショックから学んだ新たな ”世界” について、今回もたくさんの未知との遭遇をお届けしたいと思います!!
※ちなみに、グロテスクな写真を含んでおりますので苦手な方は閲覧注意です!!
この記事の目次
タナトラジャとは?
タナトラジャはインドネシアのスラウェシ島南部に位置する村落。
タナ=土地、トラジャ=山の人々、という意味をを持っており、その名の通りタナトラジャは標高800~1600メートルの山岳地帯。気温も低く、冷涼な気候。
トラジャ族の人口は約33万人。
インドネシアは世界最大のイスラム教人口であるが、トラジャ族は80%以上がキリスト教。
世界でも他に例を見ない独特な土着文化、舟形家屋、埋葬儀礼など観光地としても注目されており、インドネシアの秘境として知られている。
タナトラジャへの行き方
タナトラジャへはスラウェシ島南の州都マカッサルからのバスが便利だ。
マカッサルへはジャカルタ、スラバヤ、バリなどの主要都市からライオンエアー、シティリンクなどの航空会社を使うと格安で行ける。
マカッサルからタナトラジャまではバスで片道9時間程だが、途中険しい山道と乱暴な運転で思わず目をふさぎたくなる。乗り物酔いする人は注意!
寝台バスやデラックスシートのバスもあるので、マカッサルのバスセンターや旅行代理店で値段と比較しつつ快適なバスを選ぶとよい。
トラジャ族の宗教
トラジャ族の存在が世に知れ渡ったのは1900年代になってから。
1913年、当時オランダ領だったインドネシアで最初のキリスト教の宣教師がタナトラジャに入った。
その頃インドネシアはオランダに統治されており、キリスト教の宣教師が布教活動のためタナトラジャに入ったのが最初といわている。
タナトラジャは高地であり、手つかずの自然に囲まれているため、それまで外界との接触は無かったのだ。
宣教師たちはタナトラジャのランテパオという都市に拠点にトラジャ族のキリスト教化を始めた。
しかし、タナトラジャには元々土着のアニミズムがあり、キリスト教の定着は簡単ではなっかった。
そこで宣教師たちはターゲットを若年層、特に奴隷層の人々に対して布教を進めたのだ。
そして1930年代にはある程度の人が洗礼を受けるようになり10%のトラジャ族がキリスト教となった。
1950年~1965年になると、南スラウェシを中心に過激イスラム教運動がおこった。
その後、政府の方針により民族全員がキリスト教かイスラム教への改宗を強いる政策をすすめ、80%の人々がキリスト教へ改宗た。
というのも、トラジャ族は豚肉を食べる習慣があり、豚肉が食べられないイスラム教への改宗を拒んだものや、イスラム過激運動が起こったこともあり、1984年には約8割のキリスト教人口に至る。
しかし、多くの人がキリスト教に改宗したにも関わらず、今日でもタナトラジャの伝統文化が生きているのはなぜか?
それは、キリスト教化が進んでもタナトラジャ独特の土着文化が排除される活動は無かったからである。
地位社会の中で生きるトラジャ族
トラジャ族にはいまだに血筋による地位社会が根付いており、王族、貴族、平民、奴隷の4つの階級に分かれている。
1990年代になると奴隷階級は当時の政府によって廃止された。
しかし、私のガイドだったトラジャ族の青年は奴隷階級出身であると話しており、地位や貧富の格差が完全になくなったわけではないようだ。
階級制により女性は自分より身分の低い男性を結婚相手として選べない。
しかし、男性はどの身分でも結婚相手を選ぶことができるという変わった決まりがある。
なぜ男性はどの階級でも結婚相手を選べるのに、女性は選べないのか?
それには女性は血を保持するもの、男性は血を広めるものという考え方があるからだ。
女性は下の身分の人と結婚してしまうと自分の家系のランクが下がるという考えがあり、男性は逆に自分の血筋を広げ、ランクを上げるためにも上の階級の女性を選ぶことができる。
主な産業と発展
19世紀後半になると外界から他民族が入り、交易という概念をもたらした。
タナトラジャの主な産業はというとコーヒーが有名で、トラジャコーヒーとして世界でも有名だ。
コーヒー栽培自体は元々外から持ち込まれたものであったが、トラジャ族にとっては第一の産業として発展していった。
そしてもう一つ。
タナトラジャには「奴隷」も商業に利用されていた。
トラジャ族は自分たちの民族を奴隷として他民族に売り、貿易をしていたのだ。
というのも、タナトラジャは元々地位社会であり、民族内に奴隷という概念が存在していたため、トラジャ族にとって自民族を売ることは負の歴史とはされなかった。
奴隷にとっても主が変わるだけだったので奴隷を使う商業というのは問題になることは無かった。
こうして、トラジャ族はコーヒーと奴隷で交易をし、対価を手に入れられるようになったのだ。
トラジャ族にとっての「家」
タナトラジャに行くとトンコナンと呼ばれる船形屋根を持つ変わった伝統家屋を見ることができる。
トンコナンはトラジャ語で「祖先の家」という意味を持っており、トラジャ族の間では家は非常に重要なものとされている。
「祖先の家」という名の通り、トラジャ族の人々は家を基準に個人が認識され、人個人を認識する時、「彼は誰?」ではなく、「彼はどこの家の人?」というように家を基に社会が構成される。
そのため、トラジャ族にとって「家」はとても大切なものであり、家が自分の存在意義にもつながるのだ。
トンコナン
先ほど少し触れたが、トンコナンとは高床式の船形屋根をもつトラジャ族の家の名称である。
そもそも、なぜ屋根が船の形をしているのか?
それには昔からの言い伝えによって「川」が深くかかわっている。
トラジャ族は、祖先は船に乗り川を流れこの世にやって来、そして死んだ後また船(棺桶)に乗りあの世に戻っていくという考え方がある。
トラジャ族にとって「家」は先祖代々続く家族のルーツであり、屋根が船のような形となったのだ。
ランテパオから車で20分ほどのケテケス村に行くと保存状態の良いトンコナンがたくさんある。
トンコナンはすべて北向きに建てられている。
トラジャ族にとって北は「前」「未来」「生」を表す方角とされており、逆に南は「後」「過去」「死」を表す方角とされている。
日本では人が亡くなると北枕で寝かせられるが、ここでは南枕になるのだ。
そして、方角の意味合いはトンコナン内部の部屋でも特別な意味合いを持つ。
トンコナンの内部は三つの部屋があり、まず北の部屋は「ボド」と呼ばれ来客の部屋や父母の寝室としても使われる。
真ん中の部屋は「サリ」と呼ばれ、食事をとったり家族の共有スペースとしての役目を果たす。
キッチンもあるが、その隣にはすぐトイレが併設されていたのには驚いた…
南の部屋は「スンブン」と呼ばれ、子供部屋や、来客用としても使われます。
そしてこの部屋、南の方角であることから死体が保存される部屋でもあるそうだ。
なぜ死体が保存されるのかというと、トラジャ族のお葬式には非常にお金がかかるからだ。
トラジャ族は、生前にかかったすべてのお金よりもお葬式一つにかかる費用のほうがはるかに高いと言われ、生きているうちに自分の葬式費用を貯金するそうだ。
しかし、もしお金がたまっていなかったときは死体をミイラにして保存し、葬式の費用がたまるまで兄弟や家族が代わりに葬式費用を稼ぐこともある。
それにしても子供と死体が同じ部屋というのは少し恐怖を感じるが…
階級社会ということもあり、トンコナンもその家族の階級に応じて見た目が違う。
身分が低いほど質素な見た目となり、「トンコナン」と呼ばれないものもあるが、身分が高くなるにつれて家の規模も大きくなり、華やかさも増していく。
上の写真は貴族層のトンコナンであり、トラジャ族伝統のレリーフや水牛の角、顎の骨、などが至る所に豪華に飾られている。
※ 以下閲覧注意 ※
トラジャ族の埋葬儀礼「ランブソロ」に行ってみた! ※閲覧注意
トラジャ族の一生おいて最も重大なイベント、それは葬式である。
「葬式」と言っても私たちが想像する厳かなイメージではなく、トラジャ族の葬式は一種のパフォーマンスの様であり、他のどの地域の葬式とも特異的なものもだ。
トラジャ族にとって「死」に対する価値観は特別なものであり、「我々は死ぬために生きている」と言うほど一生においてもっとも重要なものだ。
そのためトラジャ族の埋葬儀礼である「ランブソロ」は、彼らの一生をかけて準備されてきた人生のビックイベントであり、トラジャ族の「死への価値観」が最も具現化する所である。
衝撃の「ランブソロ」に出会って
ランブソロには親族でもない、トラジャ族でさえない私でも参加することができる。
というのもランブソロは秘密に行われるような儀式ではなく、どちらかといえばオープンであり、村中のトラジャ族、観光客などどんな人でも参加することができる。
目的地に向かう道中、様々なお供え物を携えた出席者に遭遇。
村人が持ち寄るお供え物は様々で、米、おかし、パームワイン。中には生きた豚や水牛をお供えする人もたくさんいた。
豚と水牛の供え物には税がかけられ、徴収されたお金はタナトラジャの教育、インフラなどに使われる。
高価な豚や水牛、それに税金までかけられかなりの出費である。
自分がお供え物を受け取った時は相手のランブソロの時にお返しとして返すというのが礼儀のようだ。
そのため、高い出費を出しても仲間の「死」を弔いお供え物を捧げる。
観光客も参加するに当たっては基本的に、砂糖1袋、タバコ1カートン、もしくはその両方を親族にお供えしなくてはならない。
身分によってお供え物の違いはあるが、私が参加してランブソロは中流階級(平民)のものであり、現金50000IR(=約500円)のお供えのみでよかった。
ランブソロの会場となる家庭について少しするとたくさんの人が集まってきた。
男性は死者への弔いの気持ちとして黒い衣服をまとい、自分もサンブと呼ばれる布を肩にかけ出席した。
そしていよいよランブソロが始まった。
ランブソロが始まるとすぐ、まずお供え物となる豚が死者に捧げられた。
生贄の豚はまずわき腹をナイフで刺され殺される。死んだ豚は内臓を取られ、消毒のため表面をバーナーで炙られる。
消毒が終わると豚はバラバラに解体され”豚肉”に変わる。
豚肉になると今度はトラジャ族伝統の調理方法として、竹筒に香草と血と肉を詰め焼かれる。
生き物としての「豚」が食肉としての「豚肉」に変わり、最終的には我々が食べる「料理」に変わっていく過程が一目で見られる。
ランブソロでまず最初に飛び込んできたのはそんな光景だった。
普段スーパーなどですでに食肉となってしまった「豚」しか見ることがない。
そのため、「生き物」が「食べ物」に変わる一連の光景には圧倒された。
なぜ生贄が料理になってお供えされるのかというと、この世とあの世を繋ぐ唯一のコミュニケーションが「火」であるからだ。
もちろんお供え物の料理は後でランブソロに集まった人達にも振舞われる。
そんな異様な光景のランブソロを眺めていると、主催者の親族に客席へと呼ばれた。
客席では親族、参加者の男性、女性、観光客によって席が分けられている。
座っていると、親族の方々にお菓子やコーヒー、タバコなどを勧められ、いただいた。お菓子もトラジャコーヒーもとても美味しかった。
このランブソロで埋葬される親族の方が隣に座り、
「私たちのためにわざわざ来てくださってありがとう。お供え物のお金も大切に使わせていただきます。今日はたくさん食べてゆっくりしていってください。」といった会話をした。
トラジャ族も日本と同じように、「おもてなし」の存在を感じた。
そういえば、タナトラジャに来ていろんな人にタバコをよく勧められてたのだが、トラジャ族の男性は喫煙者が非常に多い。
男性で吸っていない人などいないんじゃないか?と思うくらいであり、小学生くらいの子供が吸っていたのは驚いた。
彼らによると「タバコを吸うのはかっこいい!」というイメージが強いそうだ。
女性は近くでタバコを吸われると少し嫌な顔をしている人もいたが…
そうこうしているうちに、先ほど調理されたお供え物の料理が運ばれてきた。
豚料理と共に卵や米も一緒に振舞われ、食事が始まる。味は非常に美味しく、すぐに完食してしまった。
パームワインも飲ませてもらった。酸味と少し癖があったが悪くはない味わいだった。
(肩に羽織っている黒い布がサンブ)
そのあとは、参加者や親族の方と話したり、子供と一緒に遊んだりしていると、流れ解散のような形でランブソロは終わった。
余った肉は参加者に分けられ持って帰っていた。
解体された水牛も、角、皮、脳まで余す所なく利用されるそうだ。
このランブソロでは25匹の豚と8頭の水牛が生贄に捧げられたが、過去には1000頭の水牛が生贄となったランブソロの例も残っている。
ランブソロが終わるとこの儀礼の主役である死者は埋葬のためお墓となる場所に向かう。
土に還る時。トラジャ族の埋葬
トラジャ族の埋葬方法は独特。
埋葬儀礼であるランブソロが終わると、遺体はお墓へと運ばれる。
タナトラジャ内の埋葬方法は一様ではなく、状況、身分に応じて様々な方法が取られる。
下記ではそんな多様な埋葬について紹介します。
岩窟墓「レモ」
岩窟墓。岩壁には無数の墓穴が開けられており、葬式が終わるとここに埋葬される。
基本的にトラジャ族の埋葬は風葬であり、墓穴に入れられた死体は年月をかけ風化し自然に還る。
この墓穴は一つで10万~50万ほどもかかるそうだ。
岩窟墓に立ち並ぶこの人形は「タウタウ」と呼ばれ、身分が高かった者に対し、生前の姿をモチーフに作られる。
タウタウの手に注目してみると、皆右の手のひらを上に、左の手のひらを横に作られている。
これは「私が死んだら水牛、お金をお供えしてください。代わりに私はあなたに天から恩恵を授けます。」
という意味を表している。ランブソロの時もそうだったが、ギブアンドテイクのような考え方があるようだ。
鍾乳洞の墓「ロンダ」
ランテパオの山道に入り、少しすると鍾乳洞を使った洞窟墳墓がある。
鍾乳洞に入る前にも岩壁にたくさんの棺桶が取り付けられている。
よく見てみると、棺桶の中に船の形をしたものがある。
これは棺桶(船)に乗って死者の世界に戻っていくという考えから来たものである。
基本的に船型の棺桶は高貴な者の証であり、生前の写真や彫刻とともに埋葬される。
鍾乳洞の入り口。中はかなり暗い。
真っ暗な中、ランタンを持ち鍾乳洞の中に入ってみると、たくさんの棺桶や骸骨がたくさんあった。
洞窟の内部は基本的に身分の低い者が埋葬されており、棺桶に入ることもできず、そのままの形で埋葬されている者もたくさんいた。
この二つの並んだ骸骨は「ロンダのロミオとジュリエット」と言われており、
生前、身分の違いにより親に結婚を反対された男女が心中したそうだ。
その後深い悲しみの中、その親たちによって二人より添う形で埋葬された。
タナトラジャのような秘境でもこういう悲しい愛のドラマはあるんだなと思った…
高貴な者の眠る墓「スアヤ」
岩窟墓。先ほど紹介したレモと同じような岩窟墓であるが、こちらは王族や身分の高い者のための墓である。
トラジャ族にとって赤や白は高貴な色とされており、岩壁から出ている赤い布は生前高貴だった者の証である。
墓穴は岩壁の上から下まで様々な所に開けられているが、基本的にどこの墓でも上に埋葬されている者ほど身分が高い人だそうだ。
岩窟墓の下でひと際目立つ綺麗なお墓があった。
この墓は50年ほど前に亡くなった村の医者で、生前多くの人の命を救ったそうだ。
最も古い洞窟墳墓「タンパンガロ」
ランテパオから車で30分ほどするとのどかな農村地帯に入っていった。
車を降り、田んぼ道を歩いていくと目の前にいきなり巨大な洞窟が現れる。
ここはタンパンガロと呼ばれ、自然の洞窟を利用した洞窟墳墓である。
洞窟の中は集合墓地になっており、先ほど紹介したロンダと同様、たくさんの棺桶や骸骨があった。
この墓地は500年前から埋葬されていたらしく、タナトラジャの墓で最も古い。
100人以上の人が埋葬されているそうだ。
子供が眠る木「リアン・ピア」
こちらはサラプン村にあるリアン・ピアと呼ばれる赤ん坊のための墓である。
一見、普通の木のようである、お墓には見えない。
しかし、木のいたるところに墓穴があけられており、墓穴は木の枝で作られた扉でふさがれているが、実は20人以上の赤ん坊がこの木に埋葬されている。
なぜ赤ん坊がこの木に埋葬されるようになったのか?
それは木に流れる樹液で死んだ赤ん坊があの世でも健やかに生きていけるようにという母からのメッセージが込められている。
昔は村に十分な病院がなく死産や、病気により中絶を余儀なくされた赤ん坊も少なく無く、このような赤ん坊のための墓ができたそうだ。
生贄の市場「ボル」
ランテパオ中心部から北東に車で20分程すすむと、トラジャ族で盛り上がるボルという市場に行くことができる。
ボルには鳥、豚、水牛などたくさんの動物が売られており、現地の人たちでにぎわっている。
しかし、ここで売られている動物は生贄として使われるものが多く、主に「ランブソロのための市場」となっている。
市場の周辺には様々な物が売られており、地元の人でにぎわっている。
野菜、魚、コーヒー、日用品。ここに来れば何だってそろうそうだ。
実際にボルの市場に入ってみると、たくさんの動物たちが売られていた。
ランブソロで見かけた生贄の豚はここで買われたものも多いそうだ。
「お父さん!お母さん!」
どこかの映画で聞いたセリフが思わず聞こえてきそうな光景だ。
購入されると購入者の名前が直接書かれるようだ。
水牛もたくさん売られている。
水牛はタナトラジャ内だけでなく、スマトラ、ボルネオ、パプアなどインドネシアの様々な地域から集められる。
水牛はランブソロでの富の象徴であり、品定めをするトラジャ族の目も真剣だ。
水牛にはランクがあり
・太っている
・角がきれい
・目が白い
・毛につむじがある
このような牛は高い。
中でも「アルビノ」と呼ばれる肌の白い水牛は一番高価であり、一頭 600000000IR(=500万円)もするそうだ。
そう考えるとトラジャ族の葬式にけっこうな額が必要だということがわかる。
個人差はあるだろうが、一生をかけて稼ぐのだから、かなりの額になるだろう。
自分の稼いだお金を使わずに死んでいくなんて… と考えてしまうが、これも文化の違いの一つなのであろう。
埋葬される本人は、きっとお供え物を食べながら自分のランブソロを見ているだろう。
鳥の市場では闘鶏を見ることができた。
トラジャ族にも闘鶏の文化があり、たくさんの闘鶏師もいるそうだ。
ボルの帰り、田舎道ではトラジャ族の伝統武闘を見ることができた。
この武闘では足のみをつかいチームに分かれてお互いを蹴り合うそうだ。
仲間と手を組み、果敢に飛び蹴りをかます子供戦士にはトラジャ族の勇ましさを見ることができた。
誰かが得するトラジャ語講座
トラジャ族は基本的にタナトラジャ独自の言語を持ち、トラジャ語はインドネシア語とは全く違う。
そんなトラジャ語をすこーーしだけ習ったので、もしタナトラジャに行く機会があればあいさつ程度に使ってみてください。
使うとみんな優しい顔をしてくれるようになります!(たぶん)
・マナスモラタ こんにちは(挨拶)
・アパカレバ お元気ですか?
・グレスモナタ ありがとう
・タベ すみません(Excuse me)
・マンカモ 終わり(ご飯を食べ終わったときに)
・アギモン 十分です(お腹がいっぱいな時に)
※口頭で習ったので少し違う発音の所もあるかもしれません
タナトラジャで感じた「死への価値観」
タナトラジャに実際に行ってみて、トラジャ族の「死」への価値観は本当に特異的なものだと感じました。
自分の「死」のために「一生」をかけて準備をする。
自分の「死」を未来に感じながら生きていくなんて、「死」をマイナスに捉える他の文化圏に人々、もちろん日本人からしても考えられないものであり、最初はトラジャ族に対する野蛮なイメージが払拭できなかった。
しかし、一通りトラジャ族の儀礼を見てみると、野蛮というよりむしろ神聖なイメージに変わった。
「死」というのは「終わり」を意味するのではない。
もともと人間はあの世からやって来たもので、「死」は我々魂のピリオドを示すものではない。
ただ、またあの世への川をさかのぼり戻るだけだ。
「死」に対する私たち日本人の「終わり」というイメージと違って、「死」というのは未来に繋がっていく。
あたかも「死」が生きているようかのような感じさえタナトラジャの儀礼を通して感じさせられた。
生きているものはすべていつか死んでしまう。
ランブソロで生贄が死んでいく姿を見て「生き物はこんなにも簡単に死んでしまうんだ」と感じさせられた。
人間なんてちっぽけな蟻よりももっと簡単に死んでしまうだろう。
交通事故にしても病気にしても、身近に「死」がいつでも潜んでいることに気づかないだけであって。
タナトラジャは「死」について考える機会を与えてくれた。
日常生活では「死」について考えることは無いにしても、なんとなく「怖いもの」というイメージしかなかった。
もし私が今、病気になり余命が宣告されれば否応なしに「自分の死」について考えさせられるだろう。
「今までの人生どうだったか」、「やり残したことはないだろうか」そう考えても時はすでに遅い。
「死」を考えることは「生」について考えなおす機会となり、今の自分に何が必要なのか、後悔するようなことはないかなど、「今」について改めて考えさせられました。
最後に
いかがでしたか?
今回はタナトラジャにてたくさんの新しい価値観を学ぶことができました!
特に「死」について日常で考えたことは無かったですし、いろいろ深く考えさせられた旅になったと思いました!
簡単に行こうと思って行けるところでは無いですが、行って損はない所だと私が保証します!
この記事を見て少しでもタナトラジャに興味持っていただけたら嬉しい限りです!
何か悩んでいることがある! 日常生活に刺激がほしい! 見たことの無い物を見てみたい!
そんな人にはお勧めの場所だと思います!
是非、旅程のスパイスとして立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
つたない文章でしたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました!
また次の記事でもお会いできればうれしいです!!
参考文献:山本晋司(1988)『 儀礼の政治学:インドネシア・トラジャの動態的民族誌』弘文堂
(All photo by Takahiro Morita)
未知との遭遇TRIPLER「Taka」
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