24歳の時に海外で生活したいという夢を叶えるため、新卒から2年半働いた職場を退職し、ワーキングホリデーでオーストラリアへ渡る。メルボルンで飲んだコーヒーの美味しさと、国籍や性別・年齢に関係なくコーヒーの話がきっかけで人の輪が広がっていくカフェの雰囲気に魅了され、カフェに携わる仕事がしたいと思うようになる。1年間のオーストラリア生活を終え日本に帰国し、添乗員として働くもオーストラリア・メルボルンのカフェが忘れられず、再び渡豪し、1年間の大半をアリススプリングスとメルボルンで過ごす。そこでカフェとコーヒーの魅力に更に引き込まれ、世界中のカフェ文化をもっと知りたいと思い、東南アジアをスタートして世界のカフェ文化を自転車で
巡る旅に出ている途中。⇒プロフィールの詳細はこちら
こんにちは!コーヒーハンターtriplerしおりです!
みなさんはボランティアと言ったらどんな事を思い浮かべるでしょうか?
地域清掃活動・ユニセフや赤い羽などの募金活動・災害時サポーター・献血活動・交通安全活動などいろいろあります。
今回はミャンマーの孤児院での支援活動を5年間にわたり行っていて、今後も継続して支援活動を行っていくという日本人の河原啓一郎さんとご縁をいただき、個人ボランティアとして同行させていただきました。
1 ピンウーリンの孤児院でボランティア生活
ミャンマーのピンウーリンにある孤児院の一室に住ませていただき、20日間ボランティア。
今回の一番大きな目的は食糧支援。今後6ヶ月を過ごすためのお米を購入する資金が足りなくなったということで急遽訪れました。
1-1孤児院について
現在、ミャンマーには日本の数十倍、数百倍と言われるほどの孤児がいます。
そして、孤児を受け入れているミャンマーの孤児院は仏教寺院やキリスト教教会などの宗教や民族などによってそれぞれ設立され、そのほとんどが諸外国の支援を受けて運営されています。
しかしながら、施設によって支援内容に大きく差があります。都市部の大規模な施設や仏教系の施設は政府や他の機関からの支援が盛んにされていますが、それ以外の施設はまだまだ十分に支援されず、運営がかなり厳しいところが多いのが現状です。
1-1-1孤児院SMOC
今回訪れた孤児院 St.Matthew Orphanage Center (以下:SMOC) は少数民族のカチン族の人々が建てたキリスト教教会の敷地内にある施設です。
ここで生活している子供たちは、私が訪れた時点で総勢約60名。
紛争や内戦、自然災害や病気などで親を亡くした子、家族はいるけれど経済的理由で一緒に生活する事が困難なためここで生活している子、奴隷として中国に売られそうになっていた子など、彼らのバックグラウンドは様々です。
しかし、そんな事を全く感じさせない子供たちの元気いっぱいの無邪気な笑顔!
1-2孤児院をサポートしている方
SMOCでは子供たちの日常生活や施設運営などに関わるスタッフの方々とその家族も一緒に生活しています。
また、ミャンマーのカチン族の方々をはじめ、日本、シンガポール、オーストラリア、アメリカなど海外から個人サポートをされている方々もいらっしゃいます。
1-2-1ミャンマーの父母
ここで生活する子供たちのお父さん・お母さんでもあるのが、施設長・ティンコーさんとその奥さんのカイタンさん。
平日は子供たちの授業、来客者の対応、運営の管理、子供たちの体調管理など、毎日大忙しです。
そんなめまぐるしい忙しさの毎日でも、いつも子供たちのことを最優先に考える優しい笑顔を絶やさないティンコーさんとカイタンさん夫婦。とってもパワフルでハッピーな雰囲気に満ち溢れている姿は、まさに大家族をまとめる肝っ玉母ちゃん!
そんな2人を子供たちは率先してお手伝いをします。本当ならまだまだ甘えたいはずの年頃の子供もみんな協力します。
1-2-2日本人ボランティア
このたび同行させていただいた河原啓一郎さん。
ボランティアをしながら自転車でユーラシア大陸を横断する旅をされています。その旅の途中で、SMOCに出会ったそうです。その頃は周りの孤児院に比べると、ほとんど支援もなく、子供たちの生活環境も良くなく、厳しい状況に置かれていたそうです。そのためSMOCの支援を継続していくことを決めたそうです。
現在では、河原さんの繋がりでSMOCのサポートをされている日本人の方々がいらっしゃいます。
1-3 孤児院での生活
SMOCでは子供も大人も毎日楽しく健康的に規則正しい生活を送っています。
1-3-1 子供たちの1日
子供達の1日の始まりは早朝5時、キリスト教のお祈りから始まります。
そのあとみんなで掃除、そして朝ごはん。
朝8時半ごろになると子供たちは学校へ登校。学校入学前の子供たちはSMOCのホームクラスで勉強です。
SMOCのホームクラスは子供たちの年齢やレベルに応じてそれぞれ分けられています。科目は英語、数学、科学など日本の学校とほぼ同じ。でも、授業で使われるテキストブックは全て英語、授業は現地の言葉と英語で行われています。
授業の合間に食材の買い出しにマーケットへ。
お昼12時になると昼食の時間。
午後3時半ごろになると授業を終えた子供たちの自由時間!学校に行っていた子たちも帰ってきて、遊び回る元気な声がグランド中に響きます。
子供たちが帰ってくるまでにご飯の用意。大きな土間でご飯を作ります!
夕食は午後5時。
普段の彼らの食事は、1日約9ドル。朝はお米・米のとぎ汁で作ったスープ、お昼はお米・塩で炊いた豆、夜はお米・野菜を炒めたもの。
今回の支援によって、子供たちと一緒に日本食もたくさん作ることができました。
子どもも大人もみんな日本食が大好き!カレー、おでん、おにぎりなど、毎回完食!!
食後はまた勉強の時間があり、最後にキリスト教聖書の勉強をして夜10時に消灯です。
1-3-2 休日とイベント
週末は子供たちの授業もお休みです。なので朝はいつもより少しゆっくり。7時ごろに起きて、朝のお祈り、朝ごはん。
そのあとみんなでトイレや水浴び場など生活スペースの大掃除。
お昼ご飯食べて、午後からは自由時間。
今回の支援によって、今まで無かった卓球ラケット・ピンポン球・卓球ネット・バドミントンラケット・シャトル・バドミントンネットを新たに購入することができました。
また、景品や参加賞も全てこのたびの寄付金で購入できました。
最初は準備に戸惑っていた子供たち、でも、すぐに覚えてくじ引きを作ったり、トーナメント表を作ったり、卓球台やバドミントンコートの設置を手分けしてやっていきます。
トップ3には豪華賞品があるということで、みんな気合いは十分!男女ペアになり、ルールを知らない子や苦手な子には得意な子がフォローして、とても白熱したゲームを繰り広げました。
体をいっぱい動かしたら、5時から夕飯。
そして聖書の勉強とお祈りをして、休日を過ごします。
ちょうど訪れた時はクリスマス直前という事もあり、聖歌隊による歌やダンスなどのイベントもありました。
2少し豆知識!ところでミャンマーってどんな国?
ところで、みなさんはミャンマーと言ったらどんなイメージを持ちますか?田舎?閉鎖的?
民主化を果たしメディアでもよく耳にするようになったと思います。
2-1ミャンマーについて
東南アジア最後のフロンティアと呼ばれるミャンマー(旧ビルマ)。約50年間にわたる軍事政権から民主化を果たし、それまでは閉鎖されていた場所が次々と海外に向けて開かれ、観光客も急増しています。
治安は良好。さらにとっても親日的です。「ミンガラーバー」(こんにちは)と挨拶すると皆んな笑顔で返してくれます!
敬虔な仏教国であり、街の中心部には黄金に輝く巨大なパヤー、あちこちでお坊さんも見かけます。世界三大仏教遺跡のバガン遺跡群もミャンマー西部に位置しています。また、都市を少し出るとのどかな田園の風景や大自然の絶景が広がる国です。
2-2ミャンマーの現状
かつてミャンマーに入国するのは厳しく、入国できても外国人が滞在できるのはヤンゴンのみでほかの地域には立入ることが禁止されていました。現在はビザの取得が容易になり、観光客はもちろん、外資系企業も次々参入して目覚ましい発展をしています。インフラ整備も各地で進み、東南アジア諸国において最も伸び率が高い国になりました。
その一方で、民族間問題や経済格差など解決していかなければならないものも数多く残されています。
2-2-1ミャンマーの民族
ミャンマーはビルマ族・カチン族・ラカイン族・モン族・シャン族・カレン族・チン族・カヤー族の8つの部族・135以上の民族からなる多民族国家です。
それぞれの部族は独自の文化を持っており、独自の言語を話す民族も多数あります。
例えば、今回生活を共にしたカチン族はカチン語という言語を持っています。
民族衣装のロンジーも民族によって模様が異なり、カチン族の女性用は赤、紫、緑色の生地がポピュラーで、ダイヤのような模様が入っています。男性は青と緑のチェック柄が伝統的なカチン族スタイルです。
軍事政権時から近代まで独立を求める民族たちと政府との間で紛争と政府による弾圧が繰り返され、膨大な数の民族が難民に…民族問題は現在もまだまだ各地区で続いており、世界的ニュースになっているロヒンギャ問題もその1つです。
2-2-2ミャンマーの貧困
都市部において急速な発展を続けているミャンマー。2017年9月に世界銀行が発表した統計によると、ミャンマーの貧困率は2015年の32%から19%に減少したとされています。(世界消費者データベースを基に算出、報告では一家族あたりの平均家計支出が1.4%増加したとされる。)
たしかに、数年前ではケータイ電話やSIMカードは高価すぎて持てるのは政府高官ぐらい、旅行者でも買えるSIMカードに制限があり、とても一般人が買える物ではありませんでした。
しかし、今や街のあちこちでスマホ片手に屋台でお茶をする若者、おじさん、マーケットのおばちゃんをよく目にするようになりました。
日本車をはじめ高級車もどんどん走っていて、綺麗なショッピングモールも次々と建設されています。バイクやテレビの所有率も右肩上がり。
ところが、それは都市部に住むごく一部人の話。
ミャンマーの農村部で生活する人たちの生活は依然として貧しく、1日125円以下で生活している人がいるという現状もあります。
都市と農村部の間の貧困格差は縮まるどころか、まだとても大きいのが事実。今後も継続して支援を行っていく必要があります。
3 私がボランティアで行ったピンウーリンのアクセス方法!
熱帯のミャンマーの中でも年間を通して気候がよく、夏場には暑さを凌ぐために多くの人が訪れるのがピンウーリン。
かつてはメイミョーと呼ばれていたこの町は、イギリス植民地時代にマンダレーの暑さを嫌ったイギリス人が山間部を切り拓いて、こぞって別荘を建設した場所です。そんなピンウーリンはミャンマーの軽井沢とも言われています。
その名残からイギリス植民地時代の建築物が多数残っており、町中では馬車が走っています。
3-1ピンウーリンってどこ?
ミャンマー中央部、マンダレー管区の都市で、シャン高原の西の端、マンダレー市街から東へ約50kmの標高1100mの場所に位置します。
シャン高原と中部ミャンマーの交易の中心地であると同時に軍事上の要衝でもあり、植民地時代にはイギリス軍の駐屯地、現在でも軍事学校や国軍施設があります。
3-1-1ピンウーリンへの行きかた
ピンウーリンへのアクセスの拠点となるのが、マンダレーです。マンダレーへは長距離バス・飛行機・鉄道などでミャンマー各地からアクセスでき、それぞれ運行本数も多いので便利です。
マンダレー市街地からピンウーリンへはピックアップトラック、シェアタクシー、鉄道でそれぞれ向かうことができます。
《ピックアップトラック》
マンダレー市街 28th streetと83rd streetの交差点の近くから1時間に1本の運行。
予約無しで乗れます。運賃は2500チャット。所要時間は約2時間30分〜3時間。
《シェアタクシー》
予約制。事前に乗車場所を伝えておくと自分の指定した場所まで迎えに来てくれます。4人でのシェアで1人あたり4500〜6500チャット前後が相場。所要時間は約2時間。
※現在(2017.12月)途中の道が工事中のため片側相互通行になっている箇所があります。渋滞して動かないので、通常の所要時間よりプラス1時間前後かかるので注意してください!
《鉄道》
1日1本の運行。運賃は$3〜5。マンダレー駅を午前4:00に出発。4時間近くかけてピンウーリン駅に到着します。
山道をスイッチバックしながら登っていくので時間がかかり、しかもかなりの縦揺れ横揺れで、到着する頃にはクタクタに…。しかし、山を登って行くので車窓からの風景は爽やかで美しいです。
4 現地の人と行ってきた!ピンウーリンの見所
自然豊かなピンウーリン。少し郊外へ行くとゆったりと過ごせる憩いの場所もたくさんあります。
タウンの活気もいいですが、たまにはのんびりした時間を過ごすのもいいですね!
4-1 National Kandawgyi Gardens
手入れの行き届いたガーデン。広大な敷地内では季節の花や植物が楽しめ、池には白鳥と黒鳥、動物も見る事が出来ます。
園内にはカフェレストランに売店、トイレも完備してあります。
晴れた日にはピクニックに訪れる地元の家族連れやデートスポットにもなっています。
入場料:5USドル(外国人料金)
4-2 Dat Taw Gyaint Waterfall
絶壁を流れ落ちる二股の滝は迫力満点です。滝壺にたどり着くまではかなりの急勾配の下り坂を40分ほど歩いて降りていきます。
滝に向かう途中に小さな商店が2・3件と、滝壷にも商店が1件あります。トイレは滝に向かう入口にある食堂か、滝壺にある寺院で借りる事が出来ます。
帰りはかなりきつい上り坂を1時間ほどかけて上ります。
入場料:無料
汗だくになるので、水分補給と休憩を忘れずにとってくださいね(^^)
4-3 Hiromi Cafe
とても気さくな日本人のおじさんと、ミャンマー人の奥さんが営んでいるカフェ。
日本の純喫茶を感じさせる店内では、地元ピンウーリンで栽培されているシャン豆を使ったコーヒーが飲めます。実は、ピンウーリンはミャンマー随一のコーヒー豆の生産地でもあるのです!
おすすめはペーパードリップで一杯ずつ丁寧に淹れられるレギュラーコーヒー。
メニューには自家製の梅を使って作られた梅酒やプリン・ケーキもあり、どれも日本を思い出してホッとする美味しさです。
5 まとめ
いつも明るく楽しく過ごしているSMOCの子供たち。どの子もみんな、それぞれの将来の夢を話してくれました。それは私がちょうど彼・彼女らと同じ年齢の時にどこか似ていました。
まだまだミャンマーが抱える問題は多く、簡単に解決できるものではありません。支援を必要としている場所が他にもたくさんあります。
だからこそ、今後も何らかの形で支援をし、子供たちの夢が1つでも多く叶うようにと願い、1人でも多くの人に関心を持ってもらえたら嬉しく思います。
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