イランは治安が悪いのか!? 一人旅イランで未知との遭遇だらけ!

未知との遭遇TRIPLER:Taka
名前だけしか知らない国。実際に行ってみると何があるのだろう。そんな好奇心から海外へ。 「未知との遭遇」から世界を学び、主にローカルやマイナーな国の情報を発信していこうと思います!⇒プロフィールの詳細はこちら

初めまして! 

カルチャーショックから世界を学ぶ、未知との遭遇トリップラーTakaです。

 

いきなりですが、皆さんは中東についてどんなイメージをお持ちですか?

「危ない?」「怖い?」

と言ったイメージがある方が多いと思います。

 

そんな中、今回は2017年の春に旅をしてきた

イランについてお話しようと思います!

 

「イランって実はこういう国だったんだ!!」

 

私自身、実際に行ってみてイメージを大きく覆され、

様々な貴重な体験をすることができました。

 

それでは実際にイランに行ってみて思ったこと、

未知との遭遇について少し国際関係も含めてお伝えできればと思います!

 

 

 

 ペルシャの大国イラン



 

イランってどういう国なの?どこにあってどんな文化で…。

まずは基本的な地理や文化、行ってみて感じた印象について

ザックリとお話しようと思います。

 

 

 

紛争地帯??イランってどこ??



地理上のイランとしては東側に、トルクメニスタン、アフガニスタンなどの中央アジアの国々、

北にカスピ海、西にトルコ、イラクなどの中東諸国、

南にはペルシャ湾と様々な国、海路と接しています。

 

総面積は日本約の4.4倍。人口は7910万人。

国民のほとんどはペルシャ人(イラン人)隣国トルコ系やクルド人もいます。

言葉はペルシャ語。首都はテヘラン

 

隣国イラク、シリアが現在内戦状態で、

イラクとイランの名前が似ていることからも紛争地帯と思われているが、

実はイラン自体はかなり平和で治安も安定しています。

 

ISやアルカイダなどの過激組織の侵入も少なく、

2017年5月、現在外務省の治安情報を見てもイラク、アフガニスタン、パキスタンの

国境地帯は危険度が高まっているが、そこを除けばイランの国土ほとんどがレベル1。

実際に行ってみても治安は非常に良く、スリやひったくりですら心配ありませんでした!

 

私が旅行した時期は観光客もそこそこいて、日本人もいました。

一人旅など個人で来ている方が多く、18歳で一人旅をしている女子とあったことは驚きました!

珍しいことに中国人観光客など団体の方は全く見ませんでした。

 

 

 

女性はみんな黒ずくめ? イスラム教の国家!



 

ご存知の方も多いと思いますが、中東はイスラム教の国家がほとんどで、

イランではシーア派イスラム教が大多数を占める国です。

 

イランではサウジアラビアと同様、他のイスラム国家よりも宗教戒律が厳しく、

女性はすべてイスラム教でなくてもイラン内ではヒジャブと呼ばれる

髪を隠すための布を頭に覆わないといけません。

女性の髪は男性を魅了するものとされているからなのです。

 

宗教をもっと重んじる女性はチャドルと呼ばれる目を除く全身黒ずくめのかっこうをしている人もいました。

 

観光客も同様に女性は入国の際には

ヒジャブお尻の形を出さないような丈の長い服を着用する必要があります。

 

また街中には「ギャシユテ・エルシャード」と呼ばれる宗教警察も存在し、

町中で女性のかっこうの取り締まりや宗教的指導をしています。

 

イスラム教のお祈りの時間になると町中のモスクで

「アザーン」と呼ばれるお祈りの時間を知らせる放送が鳴り響き、

その雰囲気はイスラムの国でしか味わえない独特さがありました。

 

 

 

イラン人って… 親日?悪の枢軸?



実際にイランに行ってみて感じた親日? 嫌中? アメリカと仲が悪い?

など現地のイラン人と接して思ったこと!

 

 

実際にイラン人と触れ合って

最初イランに着いた時、テヘランの空港から市内までは車で1時間も離れているので

タクシーを使わざるを得ませんでした。

 

その時声をかけてくれたドライバー達が自分達客を取り合いして殴り合いの喧嘩を始めました。

「物騒だな…」「これから大丈夫かな…」

という不安もあり、最初のイラン人の印象は良くないものでした。

 

しかし、地下鉄に乗った時は親切に乗り方を教えてくれたり、チケットを奢ってくれたり、

中には私の降りる駅までついてきてくれた方までいました。

 

一人でイランまで来て右も左もわからない大都市テヘラン。

そこで触れ合った親切なイラン人達に私は優しさ感じました。





 

さらに、街中で歩いていると

「ニホンジンデスカ??」

と日本語で声をかけてくれたイラン人がいました。

 

そのイラン人「アルミン」はとても親日感情が高く、街中の観光から家まで招待していただいた上、

ご飯までごちそうをしてくれました!(写真上)

 

このようにイラン人は日本人に対してとても優しくしてくれる人が多かったです。

「Where are you from?」と聞かれ「I’m from Japan!」と答えると、

「Oh! Japan is good country!!」「 Welcome to Iran!! 」

とたくさんの人が歓迎してくれました!!

 

 

中国人が嫌い?

日本人に優しいその一方で、なぜかイラン人は中国人を嫌っているようでした。

 

違い様に「チュン、チョン」「チー、チー」など中国人と間違いバカにされることもありましたし、

宿で会ったタクシードライバーも「あいつはチー(中国人)だから乗せられない」と言っていました。

中には公園で寝ていたら中国人と間違われて唾を吐きかけられたという日本人とも会いました。

 

ではなぜ中国人を嫌っているのか?

調べてみると近年、安価な中国製品が大量に流入することによって

イラン国内の経済的打撃イラン人失業率の増加などをもたらしたことにつながり、

そのことで市民に反中感が高まっているということのようだった。

 

 

 

なぜ親日国家?

イラン人がなぜ親日家なのか、調べてみると歴史的にいろいろな理由があるようでした。

 

・第二次世界大戦からの信じられないほど速い復興。

・日露戦争で日本がバルチック艦隊を破ったこと。

・テレビドラマ「おしん」がイランでヒットし、90%もの高視聴率を獲得したこと。

 

などの要因があるようです。

どれもイラン人にとって日本が尊敬の対象であるようでした。

 

 

中でも歴史的に「日章丸事件」が一番大きな要因であると書いてありました。

 

「日章丸事件」


引用:http://www.suzukishoten-museum.com/blog/post-255.php

1953年、イランはイギリスに統治されていた頃、イラン国内の石油はイギリスの石油メジャーである

「アングロ・イラニアン社」が独占していた。イランはそれに対し石油の国有化を宣言。

そのことに反発したイギリスは石油を買いに来たタンカーを攻撃することを国際社会に表明する。

 

一方、そのころ日本では第二次世界大戦後、

イギリス、アメリカに占領され石油を自由に輸入できず、経済発展に伸び悩んでいた。

イランの困窮と日本の経済発展のために当時の出光興産社長、出光佐三(写真左)は

極秘にイランに石油タンカー「日章丸」を派遣した。

 

3月23日、神戸港を出港した「日章丸」はイギリス海軍をかいくぐり、

4月10日にイランの港に到着することができた。

その時点で武装もしない一般のタンカーがイギリス海軍をかいくぐったことは

イギリス海軍に喧嘩を売ることになった上、国際社会でも有名になる。

 

そして5月9日、ついには日本に石油を持ち帰ることに成功したのである。

 

その後、「アングロ・イラニアン社」は出光興産に対し石油の所有権を訴え起訴。

しかし、一旦は出光興産の処分が決まったものの、出光興産側の正当性が認められ、

「アングロ・イラニアン社」が控訴は取り下げたため出光興産の勝訴となったのである。

 

のちにこのことがきっかけで世界に石油の自由な貿易の発端となった。

 

 

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%AB%A0%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.idemitsu.co.jp/company/history/chronicle/20.html

アメリカと仲が悪いわけ



イラン、アメリカの国際関係においてお互いの仲の悪さは有名な話です。

アメリカはイランを「悪の枢軸」と呼び批判し、経済制裁まで加えている。

イランではアメリカ大使館が批判の対象とされている。

 

しかし、第二次世界大戦後まで実はイラン、アメリカは同盟国同士であり、親密な仲だったのです!

 

ではなぜその二か国の仲が悪くなったのか?

それは1979年に起こったある事件が深くかかわっているのです。

 

その事件についてザックリと述べようと思います。

 

イラン・イスラム革命


引用:http://parstoday.com/ja/news/iran-i25885

当時、アメリカ、イギリスによる統治を受けていた最中、イランの皇帝モハンマド・レザーは

アメリカと手を組み脱イスラーム化などの近代化を推し進める。

それによってイラン国内では西欧化が進み、ヒジャブ禁止などの女性解放など

様々なの政策がすすめられた(色白革命)。

 

その当時ではミニスカートやノースリーブなど欧米的服装が出回るなど政策は進んでいた。

しかし、王国による独裁政治のために国内では貧富の差が開き国民の不満が高まることにもつながった。

 

西欧文化を持ち込んだことによるイスラム文化の破壊、

国民の貧富の格差の拡大など独裁政治やそれを支持するアメリカに対し国民は立ち上がった。

 

1979年、イラン・イスラーム革命

 

国民の支持を得たのは当時の国家元首である最高指導者ルッホラー・ホメイニー氏であった。

ルッホラー・ホメイニー氏は当時皇帝により亡命を余儀なくされていたが、

皇帝の政策を批判し反帝制運動を誘発し、国民によるデモがや暴動が多発。

その結果皇帝は国外逃亡することになる。

 

その後、政権を奪取したホメイニー氏はイランに帰還し「イラン・イスラム共和国」の樹立をした。

 

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E9%9D%A9%E5%91%BD

http://www.geocities.jp/timeway/kougi-133.html

 



実際に自分が訪れた2月20日イランではあちこちで、

「イスラム革命記念日」による行進・集会が行われていました。 (上動画)

 

 

イランアメリカ大使館占拠事件


(現在のアメリカ大使館前)

イラン・イスラーム革命後、失脚後した皇帝モハンマド・レザーは国外に亡命することになった。

皇帝は様々な国を転々とし、ついには「癌の治療のため」という建前でアメリカに入国した。

 

皇帝を受け入れた敵対するアメリカに対し、裏でイラン政府が指揮するイスラム法学校の学生が

イランの首都テヘランにあるアメリカ大使館を取り囲みデモを行った。

デモがエスカレートすると学生らはアメリカ大使館を占拠し、「皇帝の身柄引き渡し」を要求し、

大使館職員、外交官、兵隊など50人余りを人質に取った。

 

アメリカ政府は事件の打開策に軍事的な方法によるに人質の解放を試みた。

当時ペルシャ湾に展開いていた空母と艦載機から戦闘機を発進させたが、トラブルにより失敗に終わる。

このことによりイラン政府との緊張は高まり、事件の長期化につながる。

 

しかし、身柄の引き渡しをを要求されていた皇帝モハンマド・レザーが死去。

当時皇帝を受け入れたアメリカの大統領ジミー・カーターも再選によりロナルド・レーガンに敗れ、

次第に大使館占拠の理由が無くなる。

 

レーガンの大統領に就任後、イランは人質の解放に合意し、人質は444日ぶりに解放された。

 

 

参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8%E4%BA%BA%E8%B3%AA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

 

その後、イランの統治を失ったアメリカは隣国イラクに武器を輸出することになり、

イラン・イラク戦争につながる。

 

イラン・コントラ事件や核開発など様々などほかにも様々な事件はあり、

これらの歴史からイラン、アメリカの関係な悪化につながったとされています。

 

ここではこれ以上深くは述べませんが、興味を持った方は是非調べてみてください!

 

 

 

経済制裁



現在イランではアメリカによる経済制裁のため様々な影響を受けています。

その中でも私自身旅をしていて不便に思ったことを紹介しようと思います。

クレジットカードが使えない

イラン国内で発行されたクレジットカード以外、基本的に使うことができません。

私自身、帰りの航空券を持っていなかったためクレジットを使いネットで航空券を買おうとしましたが、

クレジット会社から「不正利用の疑いあり」との通告と共に購入のキャンセルされてしまいました。

 

日本からイラン行く時も空港のチェックインカウンターで

「帰りの航空券をもっていますか?」と聞かれ、「無かったら乗せられない!」とまで言われていました。

イランからトルコに陸路で行くという名目でなんとか搭乗させてもらいましたが、

イランで航空券を取ろうとしている方は注意してください。

 

どうしてもイランで航空券を取りたいという方は空港内のチケットカウンターで航空券を買うことができます!

クレジットが使えないため現金の引き出しももちろんできません。

イランに行く場合は必ず現金を用意していきましょう!

 

 

インターネット規制

基本アメリカ系のインターネットサイトが使えません。

なぜかgoogleは使えますが、Face book, Twitter, Sky scannerなどが使えないことは不便に感じました。

イスラム国家のためアダルトサイトは全面規制がかかっています。

 

しかし、ネット規制を回避する方法はあり、VPNアプリを使えば規制対象のサイトも見れるようになります!

 

お勧めのVPNアプリは「Turbo VPN」

タップ一つでセキュリティのブロックを解除してくれます。

 

たまに使えないVPNもあるようなので、いくつかアプリをインストールしておくことをお勧めします!



 

 

イランのお勧め観光地!

ここまでイランのお国柄や国際関係について述べてきましたが、

実は観光資源も豊富なんです!!

ここでは私が実際に訪れたお勧めの観光地をご紹介しようと思います!

 

テヘランのグランドバザール



中東で最も大きいと言われる首都テヘランにあるグランドバザール。

かなりの人で賑わい、中はアリの巣のような迷路になっていました!

奥深くまで入ると出るのに30分以上かかることも…

 

 

イマーム広場とシャーモスク



イランの古都エスファハーンにあるイマーム広場。昼間は和やかにイマーム広場でピクニック。

 



イマーム広場の一遍に建つシャーモスク。夜になるとライトアップされ厳粛な雰囲気になります。

 



イマーム広場の外壁はバザールになっておりこんな趣のあるカフェも

 

 

Vazaneh



エスファハーンから車で1時間半ほどはなれた砂漠の村。

現在は無人。今まで見たことの無い光景に衝撃を受けた。

 

 

チャクチャク



ゾロアスター教の聖地。砂漠の町ヤズドから車で1時間ほど。

荒野をずっと駆け抜けると急に見える岩壁にとりついた町。

 



上ってみるとそこには一つの町があった。

 

 

沈黙の塔



その昔、鳥葬のために使われていた塔。

ヤズド市内から20分ほどの距離にあり、上ると街が一望できる。

 

塔の上はこんな感じに。昔の鳥葬はこんな感じだったのだろうか…



頂上からヤズド市内の景色。

 

 

マスジェデ・ナスィーロル・モルク



シーラーズにあるモスク。通称ピンクモスク。

午前中に訪れるとステンドグラスに朝日が差し込み幻想的な空間を生み出す。

小さなモスクであるがそのひと時は何倍も大きく感じました。

また、時間帯、天気によって色彩や濃さなども変化するためいろいろな表情を見ることもできる。

 

 

最後に



 

私自身、実際に行ってみて地図上で見たイラン、

中東のイメージなど様々な点でイメージを大きく変えられました。

 

この記事を読んでもらって少しでもイランについて興味を持ってくれる人が増え、

実際に行ってみたいと思っていただけたら嬉しい限りです!

 

これまでお伝えした通り、イランにいて治安面で危険を感じたことは自分自身ありませんでした。

しかし、地下鉄やバザール内などは大変な人込みとなっており、

そういったところではスリやひったくりなどの軽犯罪が起きてしまうことは必然的にあります!

 

身の回りの管理、安全面にはどこであっても細心の周囲を払うようにしてください!

女性の場合は服装に気を付けるのとセクハラが多いのでそこにも注意を払ってください!

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!

よければまた次の記事でお会いしましょう!!

 

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